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季刊ペースで人力飛行機や鳥人間コンテストについて情報を追い掛けるブログ

「風立ちぬ」の本庄季郎氏と第1回鳥人間コンテスト、その歴史的意義

さてさて今年の鳥人間コンテストのTV放映も9/4(水)19:00〜と迫ってきましたね!というわけでちょっとした小ネタを。スタジオジブリ最新作の「風立ちぬ」登場人物のモデルとなった本庄季郎氏の晩年の活動、第1回鳥人間コンテストでの優勝機設計について少しメモ書きをば。
ちなみに書いている人は「風立ちぬ」は未見で、もちろん第1回の鳥人間コンテストも見たわけでもありませんのであしからず。見に行きたいとは思っているんですけどねえ。

鳥人間コンテストの生い立ち

鳥人間コンテストは往年の名番組「びっくり日本新記録」の一企画として始まりました。お手本になったのはイギリスのBirdman rarry。今年も開催されたようなので動画を以下に。大会のスタイルとしてはあまり変わっていないものと思われます。

でまあ第1回の鳥人間コンテストもこんな感じで、腕に鳥の羽根を貼っつけたり大砲で飛び出してみたりとわりとやりたい放題だったみたいです。ある程度理論的に設計した機体のだいたいは強度不足でドボンし、ふわりと飛ぶ機体はハンググライダーに用いられるロガロ翼が多かったと伝えられています。
そんな中現れたのが本庄氏の機体だったのです。

度肝を抜いた優勝フライト

機体の写真等が最近お馴染みのNAVERまとめにまとまっているので貼っておきます。

アルミパイプを主構造として作られた流麗な双胴滑空機は、まさに場違いという言葉がふさわしい機体でした。パイロットは岡芳樹氏で、当時ハンググライダー界で名を馳せていたこれまた名手。すうっと飛び出した機体は、ロガロ翼とは全く違う*1飛び方で10秒程度滑空、82.44mの記録を叩き出します。*2以下の当時の記録を参照すれば分かりますが、2位以下に30m弱の差を付ける度肝を抜くようなフライトでした。

ちなみにこのフライトとパイロットの岡さんへのインタビューを、鳥人間コンテスト30周年記念DVDで見ることができます。鳥人間の歴史を凝縮した貴重な資料です。

鳥人間」の原点となった機体

ここで、やっとタイトルの「歴史的意義」について触れます。前振り長い……
上でも触れたとおり、鳥人間コンテストはロガロ翼と一発芸を主体にしたイギリスの大会をお手本として始まりました。当然製作者側もそういう大会を想定していたものと思いますし、実際そうなっていたことが当時の映像からは伺い知れます。
そこに飛び込んできたのが本庄氏の設計した機体とそのフライトでした。琵琶湖を滑るように飛んだそのフライトは、出場者に大きな衝撃を与えたのではないでしょうか。40年にもなろうかという過去のことですが、そのことは容易に想像できます。*3
この衝撃は、参加者を本格的な設計へ/機体へ/もっと遠くへと突き動かしていく事となります。第3回大会で88.53mの新記録が樹立。第4回大会では初の100mフライト。そしてその先は……とトントン拍子に進化を遂げ、近年ではその記録は500mにも到達しました。これは、ある一面*4においては一般的なグライダーを上回る記録であり、そのスタイルは「琵琶湖型滑空機」とも言われています。地上10mから滑空することのみに特化して生み出される飛行機たちは、全世界を見回してもここ琵琶湖に限られたものです。


開催初期からすればありえない記録を出すようになった鳥人間コンテスト。その原点には大戦を生き抜いた名設計者が産みだした「本気の」機体が、その影には機体の数だけの「堀越二郎」が存在します。番組ではパイロットがクローズアップされがちですが、その影には設計者と汗と涙が存在していることにも思いを馳せていただけたらなあ、と思います。

*1:滑空速度が早い

*2:公式DVDでは「予想だにしなかった大記録」と表現

*3:できれば湯治を知る方の証言が欲しいところですが……

*4:滑空比